2012年3月17日土曜日

引退列車の撮影

昨夜、東三条駅で急行きたぐにを見送った時に思ったこと。フラッシュ撮影をしている人はコンデジで撮影している場合がかなり多く見受けられた。たぶん鉄道ファンではなく、ラストランと聞き、最後の見納めに来た方が多かったのではないかと思う。

ラストランを撮影したいと思って駅にやってくるのは全く悪いことだと思わないし、むしろ昔乗った列車の引退を見たいと思うのは当然だろう。しかし、夜間走行する列車に向けて、フラッシュ撮影するのはフラッシュの強烈な光は運転士の視界を奪ってしまう危険なことだ。

フラッシュ撮影の危険性は、たとえば夜に車を運転していて道端からフラッシュを焚かれたらどうだろうか?目が眩んで運転できなくなるだろう。この危険性があまり意識されていないというのが現状だと思う。鉄道ファンはそういった知識を持っているため、普通はフラッシュ撮影をしない。 

しかし、普通の人はそんなことは知らないのだ。ここらへんに鉄道ファンと普通の人との差というか、軋轢を生んでしまう原因が潜んでいるように思う。フラッシュ撮影はいけないこと。しかしそれを抑えようと罵声を浴びせかけるのはいいことなのだろうか? 

かといって、私の良策があるわけでもない。ここらへんがもどかしいところ。鉄道会社に対策を求めるのもなにか違うように思うし、撮影地で鉄道ファンが「フラッシュ撮影はやめましょー」といったところで、ただの怪しい人間に見られていうことは聞いてくれないかもしれない。 

結局、「なんとかならんかなぁ」と思っているだけで何も行動できないヘタレですみませんね、という話。 

鉄道ファンの「常識」と一般人の「常識」は、全く違う。これはちゃんと認識しないといかんと思う。

(Twitterでのつぶやきをまとめたものです)

2011年12月30日金曜日

彌彦神社初詣列車

初詣は彌彦神社で、という方も数多くいることと思います。
弥彦観光協会のホームページで彌彦神社への初詣列車の情報がまとめられていました。
http://www.e-yahiko.com/jr.htm

車での参拝ももちろんOKですが、神社周辺の道路は大変混雑します。
一キロ進むのに何十分もかかるという状況もザラにあります。
渋滞の心配のない列車での参拝などいかがでしょうか。

2011年11月27日日曜日

寝台特急[日本海]廃止の報に触れて

2011年11月18日、読売新聞のWeb版で「ブルートレイン・日本海、来春ダイヤ改正で引退」という記事が掲載されました。寝台特急[日本海]は1968年10月に急行から特急列車となり、以来43年にわたり大阪と青森を走り続けてきました。[日本海]はブルートレインブームの中にあっても、日本海側を走るということでどちらかと言うと目立たない存在だったと思います。しかし、一時は2往復体制、函館駅乗り入れと人気を博したこともありました。

近年続く寝台特急の廃止。[日本海]廃止の知らせを聞いた鉄道ファンの多くは「とうとうこの時が来てしまったか」という思いを抱いたことだと思います。かく言う私もその一人でした。

廃止の要因として利用客の減少と車体の老朽化が挙げられていましたが、車体の老朽化が一番の要因だったと思います。国鉄時代に製造された車両は車体も痛み、内装も陳腐化していました。
老体に鞭打つように走る姿は痛々しささえ感じました。いくら寝台があるとはいえ、シャワーもないような設備では客足も遠のいてしまいます。かといって車両を新造するには多くの費用がかかります。そう遠くない将来に廃止されることは明白なものになっていました。

東京と高松・出雲市を結んでいる[サンライズ瀬戸・出雲]は、機関車が牽引する客車からビジネス客に特化した電車による寝台特急へと変貌しました。上野と札幌を結ぶ[カシオペア]はリゾート列車として運転されています。ビジネスかリゾートか。[日本海]はその流れに対応することができませんでした。上野と青森を結ぶ[あけぼの]や大阪と新潟を結ぶ[きたぐに]もそう遠くない将来[日本海]と同じ道を歩むことと思います。

列車が走りだしてから駅弁を開け、ビールを飲み干す。
車窓を彩る夜景。ほろ酔い気分の中で昔話。
まさに至福の時間。
新幹線の快適さとはまたちがった「旅情」というものがそこにはありました。

芭蕉の句の本歌取りで一句。
日本海 佐渡に横たふ 天の川

またひとつ新潟の鉄路を彩った列車の終焉が近づいています。

200系の東北新幹線撤退に寄せて

2011年11月18日、東北新幹線で開業以来29年にわたり走り続けてきた200系が定期運用から離脱しました。
翌日のダイヤ改正で最新鋭のE5系が3本増備されて「はやて」や「やまびこ」としても走るようになり、E2系が200系が担ってきた役割を果たすこととなりました。これで200系は上越新幹線のみでの運用となります。ちなみに定期運用から離脱というだけで、臨時列車やイベント列車で200系が東北新幹線を走ることがあるかもしれません。

新鋭の車両が登場して古参の車両は引退していく。

これは常日頃から各地で起こっていることですが、こと200系のこととなると思いが溢れてきてしまいます。1980年代に生まれた私にとってグリーンラインの200系は東京にむかう「夢の超特急」でした。おそらく東北新幹線の沿線にも私と同じような思いを持っている方がいると思います。
その方々がもう200系の車窓から故郷の姿を見ることができなくなると思うと万感胸に迫るものがあります。傷ついた故郷を変わらず駆け抜けていく200系は、希望の象徴であったのではないかと思います。

200系は東北の復興を支える途半ばでその役割を後進たちに託しました。

2012年6月23日、東北新幹線開業30周年の記念すべきその日に再び200系が復興しつつある東北を走ることを祈っています。

2011年11月16日水曜日

新潟駅に来ないもの


新潟県内の駅で一番大きな駅。いわずもがな、それは新潟駅です。
1日平均の乗車人員は36,269人(2010年度)。本州日本海側の駅では最多。JR東日本管内の駅では第116位。東日本管内では東京近郊区間内を除けば仙台駅に次いで2番目の乗車人員です。
上越新幹線、信越本線、越後線、白新線が乗り入れ、特急も数多く発車しています。

その新潟駅に来ない列車があります。それはなんでしょう?

寝台特急と思った方、当たりです!
平成8年に寝台特急つるぎ(大阪~新潟)が廃止されて新潟駅に乗り入れる寝台特急は消滅しました。余談ですが、つるぎとおなじく大阪と新潟を結ぶ急行きたぐには今も健在です。
新潟県内を走る寝台特急は、日本海、あけぼの、トワイライトエクスプレスがありますが、それらは全て新津駅から新発田駅の羽越本線を走り、新潟駅に乗り入れることはありません。

実はもう一つ新潟駅に来ない列車があります。(このことに今更ながら気がついてこの記事を書いています)

新潟駅には貨物列車が来ません。

待てど暮らせど一本も来ません。

それはなぜか?こちらの地図をご覧ください。
新潟駅の周辺地図

新潟の貨物ターミナルに新潟貨物ターミナル駅という駅があります。この駅は東新潟駅に隣接しています。
地図では右側に東新潟駅と新潟貨物ターミナルという文字が見えると思います。
赤枠で囲んでいるのが上沼垂信号場です。
新潟駅は左上の隅にあります。
ここがポイントです。

東京や大阪から新潟を目指してきた貨物列車は越後石山駅を通過したあとに今まで走ってきた信越本線から上沼垂信号場で白新線へと入り、新潟貨物ターミナル駅へ向かいます。逆に新潟貨物ターミナル駅から東京や大阪を目指す貨物列車は上沼垂信号場から信越本線へ入って行きます。(赤矢印で示した動き)
新潟貨物ターミナル駅から秋田や札幌を目指す貨物列車もありますが、当然ながら新潟貨物ターミナル駅から白新線へと入り新発田駅へと走って行きます。
この時、新潟駅は全くルートに関わっていません。

新潟県内を走る貨物列車は数多くあります。新潟市内でもその姿を頻繁に見ることができます。
しかし県下最大、いや日本海側最大のターミナル駅である新潟駅には一本たりとて貨物列車が来ないのです。
新潟県内の大きな駅では必ずといっていいほど貨物列車が停車、もしくは通過していきますが、新潟駅では姿を見ることすらできない。このことに今更ながら気がついて、記事を書いた次第です。

Suica


Suicaがどんどんと広がってきています。
先日東京に出張に行ったのですが、支払いはほとんどSuicaでした。
朝駅について朝ご飯のサンドウィッチを買う時にSuicaでピッ!
改札を通る時にまたSuicaでピッ!
新幹線の中でコーヒーを買う時にSuicaでピッ!


いろんなところでSuicaが使えます。
これからも急速にSuicaをはじめとする電子マネーは広がっていくでしょう。

財布を持ち歩かないような時代がくるのでしょうか?

蛇足ですが、JR東日本がSuicaにばかり力を注いで、肝心の本業を疎かにしないよう願っています。

2011年11月15日火曜日

上越新幹線開業29周年

29年前の11月15日6時35分、大宮駅から上越新幹線下り一番列車とき301号が発車した。その10分後の6時45分、新潟駅で上り一番列車あさひ190号が発車した。上越新幹線開業の日。当初の予定では東北新幹線と同日に開業する予定だったが、中山トンネルの工事の遅れなどで5ヶ月遅れでの開業となった。29年経った今でも日本海側を走る新幹線は上越新幹線だけである。

キャッチコピーは「ひかりは北へ」。新幹線車両は青であるという既成概念を覆す緑のラインの200系電車にはスノープラウ、雪切室、ボディーマウント構造などの豪雪地帯を走行する車両ならではの工夫が施された。車体の工夫以外にも消雪用のスプリンクラーが設置され、特急ときの時代にさんざん悩まされた豪雪を克服した。

上越新幹線の開業当初は速達タイプが「あさひ」、各駅停車タイプが「とき」という愛称だったが、今では越後湯沢までの「たにがわ」と新潟までの「とき」という体制に変わっている。「とき」という愛称は長らく上野~新潟間を走る特急の愛称として親しまれてきたが、「あさひ」という愛称は仙台~新潟間を走る急行の愛称であり、新幹線の愛称として採用されたのは、まさに大抜擢というものであった。

鉄道ファンに知られたトリビアで、「上越新幹線は全線開業していない。」というものがある。上越新幹線の計画上の起点は東京駅ではなく新宿駅であり、大宮駅から新宿へと向かうのが本来のルートであった。今も新宿駅の地下には新幹線が乗り入れるための用地が残されている。2015年の北陸新幹線(長野~金沢)の開業、2016年の北海道新幹線(新青森~新函館)の開業と東京~大宮間の輸送量が逼迫することは明白ではあるが、新宿駅延伸という「切り札」は未だに切られていない。

上越新幹線は来年30周年の節目の年を迎える。東北新幹線ではまもなく200系が姿を消すが、上越新幹線では30周年を迎える日まで元気に走ってくれているだろう。

上越新幹線の建設では90名以上の方が殉職している。一番犠牲が多かった大清水トンネル保登野沢(ほどのさわ)工区での火災事故では18名の方が亡くなっている。大清水トンネル湯沢口の程近くの城平墓園にある慰霊碑にはこのように刻まれている。

上越新幹線工事は 上越の産業文化の振興をはかるため国の一大事業として昭和四十六年十一月に工を起し ここにその完成をみた
私どもは その間にあって尊い生命を捧げられ 偉業達成の礎となられたかたがたのことを忘れることができない
ここにそれらのかたがたの霊を慰めるため 大清水トンネル湯沢口を鎮魂の地と定め この碑を建立する
御霊よ
ねがわくば 永遠に安らかに鎮まりたまわらんことを
昭和五十七年十月
上越新幹線
建設工事関係者一同