キャッチコピーは「ひかりは北へ」。新幹線車両は青であるという既成概念を覆す緑のラインの200系電車にはスノープラウ、雪切室、ボディーマウント構造などの豪雪地帯を走行する車両ならではの工夫が施された。車体の工夫以外にも消雪用のスプリンクラーが設置され、特急ときの時代にさんざん悩まされた豪雪を克服した。
上越新幹線の開業当初は速達タイプが「あさひ」、各駅停車タイプが「とき」という愛称だったが、今では越後湯沢までの「たにがわ」と新潟までの「とき」という体制に変わっている。「とき」という愛称は長らく上野~新潟間を走る特急の愛称として親しまれてきたが、「あさひ」という愛称は仙台~新潟間を走る急行の愛称であり、新幹線の愛称として採用されたのは、まさに大抜擢というものであった。
鉄道ファンに知られたトリビアで、「上越新幹線は全線開業していない。」というものがある。上越新幹線の計画上の起点は東京駅ではなく新宿駅であり、大宮駅から新宿へと向かうのが本来のルートであった。今も新宿駅の地下には新幹線が乗り入れるための用地が残されている。2015年の北陸新幹線(長野~金沢)の開業、2016年の北海道新幹線(新青森~新函館)の開業と東京~大宮間の輸送量が逼迫することは明白ではあるが、新宿駅延伸という「切り札」は未だに切られていない。
上越新幹線は来年30周年の節目の年を迎える。東北新幹線ではまもなく200系が姿を消すが、上越新幹線では30周年を迎える日まで元気に走ってくれているだろう。
上越新幹線の建設では90名以上の方が殉職している。一番犠牲が多かった大清水トンネル保登野沢(ほどのさわ)工区での火災事故では18名の方が亡くなっている。大清水トンネル湯沢口の程近くの城平墓園にある慰霊碑にはこのように刻まれている。
上越新幹線工事は 上越の産業文化の振興をはかるため国の一大事業として昭和四十六年十一月に工を起し ここにその完成をみた
私どもは その間にあって尊い生命を捧げられ 偉業達成の礎となられたかたがたのことを忘れることができない
ここにそれらのかたがたの霊を慰めるため 大清水トンネル湯沢口を鎮魂の地と定め この碑を建立する
御霊よ
ねがわくば 永遠に安らかに鎮まりたまわらんことを
昭和五十七年十月
上越新幹線
建設工事関係者一同
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