2011年11月27日日曜日

寝台特急[日本海]廃止の報に触れて

2011年11月18日、読売新聞のWeb版で「ブルートレイン・日本海、来春ダイヤ改正で引退」という記事が掲載されました。寝台特急[日本海]は1968年10月に急行から特急列車となり、以来43年にわたり大阪と青森を走り続けてきました。[日本海]はブルートレインブームの中にあっても、日本海側を走るということでどちらかと言うと目立たない存在だったと思います。しかし、一時は2往復体制、函館駅乗り入れと人気を博したこともありました。

近年続く寝台特急の廃止。[日本海]廃止の知らせを聞いた鉄道ファンの多くは「とうとうこの時が来てしまったか」という思いを抱いたことだと思います。かく言う私もその一人でした。

廃止の要因として利用客の減少と車体の老朽化が挙げられていましたが、車体の老朽化が一番の要因だったと思います。国鉄時代に製造された車両は車体も痛み、内装も陳腐化していました。
老体に鞭打つように走る姿は痛々しささえ感じました。いくら寝台があるとはいえ、シャワーもないような設備では客足も遠のいてしまいます。かといって車両を新造するには多くの費用がかかります。そう遠くない将来に廃止されることは明白なものになっていました。

東京と高松・出雲市を結んでいる[サンライズ瀬戸・出雲]は、機関車が牽引する客車からビジネス客に特化した電車による寝台特急へと変貌しました。上野と札幌を結ぶ[カシオペア]はリゾート列車として運転されています。ビジネスかリゾートか。[日本海]はその流れに対応することができませんでした。上野と青森を結ぶ[あけぼの]や大阪と新潟を結ぶ[きたぐに]もそう遠くない将来[日本海]と同じ道を歩むことと思います。

列車が走りだしてから駅弁を開け、ビールを飲み干す。
車窓を彩る夜景。ほろ酔い気分の中で昔話。
まさに至福の時間。
新幹線の快適さとはまたちがった「旅情」というものがそこにはありました。

芭蕉の句の本歌取りで一句。
日本海 佐渡に横たふ 天の川

またひとつ新潟の鉄路を彩った列車の終焉が近づいています。

200系の東北新幹線撤退に寄せて

2011年11月18日、東北新幹線で開業以来29年にわたり走り続けてきた200系が定期運用から離脱しました。
翌日のダイヤ改正で最新鋭のE5系が3本増備されて「はやて」や「やまびこ」としても走るようになり、E2系が200系が担ってきた役割を果たすこととなりました。これで200系は上越新幹線のみでの運用となります。ちなみに定期運用から離脱というだけで、臨時列車やイベント列車で200系が東北新幹線を走ることがあるかもしれません。

新鋭の車両が登場して古参の車両は引退していく。

これは常日頃から各地で起こっていることですが、こと200系のこととなると思いが溢れてきてしまいます。1980年代に生まれた私にとってグリーンラインの200系は東京にむかう「夢の超特急」でした。おそらく東北新幹線の沿線にも私と同じような思いを持っている方がいると思います。
その方々がもう200系の車窓から故郷の姿を見ることができなくなると思うと万感胸に迫るものがあります。傷ついた故郷を変わらず駆け抜けていく200系は、希望の象徴であったのではないかと思います。

200系は東北の復興を支える途半ばでその役割を後進たちに託しました。

2012年6月23日、東北新幹線開業30周年の記念すべきその日に再び200系が復興しつつある東北を走ることを祈っています。

2011年11月16日水曜日

新潟駅に来ないもの


新潟県内の駅で一番大きな駅。いわずもがな、それは新潟駅です。
1日平均の乗車人員は36,269人(2010年度)。本州日本海側の駅では最多。JR東日本管内の駅では第116位。東日本管内では東京近郊区間内を除けば仙台駅に次いで2番目の乗車人員です。
上越新幹線、信越本線、越後線、白新線が乗り入れ、特急も数多く発車しています。

その新潟駅に来ない列車があります。それはなんでしょう?

寝台特急と思った方、当たりです!
平成8年に寝台特急つるぎ(大阪~新潟)が廃止されて新潟駅に乗り入れる寝台特急は消滅しました。余談ですが、つるぎとおなじく大阪と新潟を結ぶ急行きたぐには今も健在です。
新潟県内を走る寝台特急は、日本海、あけぼの、トワイライトエクスプレスがありますが、それらは全て新津駅から新発田駅の羽越本線を走り、新潟駅に乗り入れることはありません。

実はもう一つ新潟駅に来ない列車があります。(このことに今更ながら気がついてこの記事を書いています)

新潟駅には貨物列車が来ません。

待てど暮らせど一本も来ません。

それはなぜか?こちらの地図をご覧ください。
新潟駅の周辺地図

新潟の貨物ターミナルに新潟貨物ターミナル駅という駅があります。この駅は東新潟駅に隣接しています。
地図では右側に東新潟駅と新潟貨物ターミナルという文字が見えると思います。
赤枠で囲んでいるのが上沼垂信号場です。
新潟駅は左上の隅にあります。
ここがポイントです。

東京や大阪から新潟を目指してきた貨物列車は越後石山駅を通過したあとに今まで走ってきた信越本線から上沼垂信号場で白新線へと入り、新潟貨物ターミナル駅へ向かいます。逆に新潟貨物ターミナル駅から東京や大阪を目指す貨物列車は上沼垂信号場から信越本線へ入って行きます。(赤矢印で示した動き)
新潟貨物ターミナル駅から秋田や札幌を目指す貨物列車もありますが、当然ながら新潟貨物ターミナル駅から白新線へと入り新発田駅へと走って行きます。
この時、新潟駅は全くルートに関わっていません。

新潟県内を走る貨物列車は数多くあります。新潟市内でもその姿を頻繁に見ることができます。
しかし県下最大、いや日本海側最大のターミナル駅である新潟駅には一本たりとて貨物列車が来ないのです。
新潟県内の大きな駅では必ずといっていいほど貨物列車が停車、もしくは通過していきますが、新潟駅では姿を見ることすらできない。このことに今更ながら気がついて、記事を書いた次第です。

Suica


Suicaがどんどんと広がってきています。
先日東京に出張に行ったのですが、支払いはほとんどSuicaでした。
朝駅について朝ご飯のサンドウィッチを買う時にSuicaでピッ!
改札を通る時にまたSuicaでピッ!
新幹線の中でコーヒーを買う時にSuicaでピッ!


いろんなところでSuicaが使えます。
これからも急速にSuicaをはじめとする電子マネーは広がっていくでしょう。

財布を持ち歩かないような時代がくるのでしょうか?

蛇足ですが、JR東日本がSuicaにばかり力を注いで、肝心の本業を疎かにしないよう願っています。

2011年11月15日火曜日

上越新幹線開業29周年

29年前の11月15日6時35分、大宮駅から上越新幹線下り一番列車とき301号が発車した。その10分後の6時45分、新潟駅で上り一番列車あさひ190号が発車した。上越新幹線開業の日。当初の予定では東北新幹線と同日に開業する予定だったが、中山トンネルの工事の遅れなどで5ヶ月遅れでの開業となった。29年経った今でも日本海側を走る新幹線は上越新幹線だけである。

キャッチコピーは「ひかりは北へ」。新幹線車両は青であるという既成概念を覆す緑のラインの200系電車にはスノープラウ、雪切室、ボディーマウント構造などの豪雪地帯を走行する車両ならではの工夫が施された。車体の工夫以外にも消雪用のスプリンクラーが設置され、特急ときの時代にさんざん悩まされた豪雪を克服した。

上越新幹線の開業当初は速達タイプが「あさひ」、各駅停車タイプが「とき」という愛称だったが、今では越後湯沢までの「たにがわ」と新潟までの「とき」という体制に変わっている。「とき」という愛称は長らく上野~新潟間を走る特急の愛称として親しまれてきたが、「あさひ」という愛称は仙台~新潟間を走る急行の愛称であり、新幹線の愛称として採用されたのは、まさに大抜擢というものであった。

鉄道ファンに知られたトリビアで、「上越新幹線は全線開業していない。」というものがある。上越新幹線の計画上の起点は東京駅ではなく新宿駅であり、大宮駅から新宿へと向かうのが本来のルートであった。今も新宿駅の地下には新幹線が乗り入れるための用地が残されている。2015年の北陸新幹線(長野~金沢)の開業、2016年の北海道新幹線(新青森~新函館)の開業と東京~大宮間の輸送量が逼迫することは明白ではあるが、新宿駅延伸という「切り札」は未だに切られていない。

上越新幹線は来年30周年の節目の年を迎える。東北新幹線ではまもなく200系が姿を消すが、上越新幹線では30周年を迎える日まで元気に走ってくれているだろう。

上越新幹線の建設では90名以上の方が殉職している。一番犠牲が多かった大清水トンネル保登野沢(ほどのさわ)工区での火災事故では18名の方が亡くなっている。大清水トンネル湯沢口の程近くの城平墓園にある慰霊碑にはこのように刻まれている。

上越新幹線工事は 上越の産業文化の振興をはかるため国の一大事業として昭和四十六年十一月に工を起し ここにその完成をみた
私どもは その間にあって尊い生命を捧げられ 偉業達成の礎となられたかたがたのことを忘れることができない
ここにそれらのかたがたの霊を慰めるため 大清水トンネル湯沢口を鎮魂の地と定め この碑を建立する
御霊よ
ねがわくば 永遠に安らかに鎮まりたまわらんことを
昭和五十七年十月
上越新幹線
建設工事関係者一同

2011年11月14日月曜日

貨物新幹線

貨物輸送の未来を変える「貨物新幹線」計画とは?
こんな記事を見つけました。
ということで、Twitterで知ったこの記事について私なりに補足説明をします。この記事に書かれているのは新青森から先へと延伸する北海道新幹線のことについてです。「貨物新幹線」という文字に違和感を覚える人もいるかと思いますが、実は東海道新幹線でも貨物列車を走行させる計画がありました。

東海道新幹線の建設にあたり建設費の捻出に困った国鉄は世界銀行からお金を借りることにしました。当時の世界の常識では「高規格鉄道で旅客輸送」というのは、「え?コイツ何いってんの?」状態だったのです。モータリゼーションがまさに勃興しつつある時で「移動は自動車だろ。急ぐ時は飛行機な。」というのが世界の常識で、鉄道は旅客輸送は激減、貨物輸送だけに頼る斜陽産業になり果てていたのです。
そんな状況の中で「旅客輸送用の高規格鉄道を建設するからお金ちょーだい!」と言っても「日本はアホなの?バカなの?」と言われるのがオチでした。そこで考えられたのが「いやいや、昼は旅客、夜は貨物を運ぶ高規格鉄道だから!」という苦肉の案だったわけです。
なんとか世界銀行からお金を借りることができ建設に着手するものの、実用性を疑問視する声は多く、鉄道ファンで知られる作家の阿川弘之氏からも「ピラミッド、万里の長城、戦艦大和に匹敵するバカ事業」と揶揄されていたわけです。
東海道新幹線が開業しても新幹線に貨物列車が走ることはありませんでした。そもそも先ほどの「貨物も走らせる」という話は世界銀行からお金を借りるための方便。つまり、嘘だったのです。一応格好だけはつけるために貨物駅へ分岐する用地が確保されていて、今もそのルートを確認することができます。

ちなみにこの時の貨物新幹線計画は、巡り巡って東京と大阪を結ぶ世界初の「貨物電車」M250系「スーパーレールカーゴ」へとつながっていくのですが、それはまた別の話。

日本の新幹線の成功は世界の常識を変えました。モータリゼーションは進みましたが、自動車と飛行機との二極化になくことはなく、近距離は自動車、中距離は鉄道、遠距離は飛行機、そしてそれぞれが相互に補完しあうという形が交通の常識になりつつあります。

2011年11月9日水曜日

プロ野球と鉄道

鉄道会社とプロ野球について簡単にまとめます。
大手私鉄15社プラスαで。

【現在も球団を保有】
阪神(1935~)
大阪タイガース→阪神軍→大阪タイガース→阪神タイガース
職業野球時代から存在する名門球団。現存する球団としては巨人に続き二番目に古い球団であり、本拠地となっている球場が変わっていない唯一の球団である。
2005年に阪神と阪急が経営した時に球団名の変更が取りざたされたが、阪急阪神タイガースになることはなかった。
阪神電鉄は営業キロが48.9キロと大手私鉄の中では相鉄の次に短い。

西武(1979~)
西武ライオンズ→埼玉西武ライオンズ
1979年にクラウンガスライターから西武が経営権を譲り受けた。森監督時代には「常勝西武」と言われる黄金時代を築いた。
チームカラーはスカイブルーだが、西武鉄道といえばやっぱり黄色でしょ。

【過去に球団を保有】
阪急(1936~1988)
阪急軍→阪急ベアーズ→阪急ブレーブス
阪神と同様に戦前の職業野球の頃から球団を保有していた。なお阪急はこれ以前(1924〜1929)に宝塚運動協会というプロ野球チームを保有していたというから日本最古の鉄道会社によるプロ野球チームは阪急であるといえる。
1975年から77年まで3年連続日本一という黄金時代を築いた。
1988年10月19日、世に言う「10.19決戦」ロッテ対近鉄のダブルヘッダーが川崎球場で行われいた同日にオリエントリースへの球団譲渡が発表された。戦前から続く名門球団阪急の身売りは関西を中心に大きな衝撃を与えた。
譲渡後のオリックスブルーウェーブは2004年に鉄道会社が経営する近鉄バファローズと合併したというのも奇妙な縁を感じる。

南海(1938~1944、1947~1988)
南海軍、南海ホークス
大阪球場を本拠地とした正真正銘の大阪の球団(阪神の甲子園球場は兵庫県尼崎市、阪急の西宮球場は兵庫県西宮市)。大阪球場は歓楽地ミナミのど真ん中にあり一杯引っ掛けてきたオッサンがドギツい野次を飛ばす「野次の聖地」としても知られた。ホークスが九州へと移転した今も大阪の下町には南海時代を懐かしむオッサンが多いらしい。
1988年は南海と阪急という関西を本拠地とする2球団が身売りされた激動の年であった。

西鉄(1943、1950~1972)
西鉄軍、西鉄クリッパーズ→西鉄ライオンズ
西鉄も戦前の職業野球時代からプロ野球に関わっていた。戦争による中断を経て、1950年から九州を本拠地とする唯一の球団として22年間存続した。西鉄が球団経営を離れたあとは太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズと短期間に保有会社が変わっていったが、1979年に西武鉄道が球団を保有して落ち着いた。しかし西武ライオンズは所沢へと本拠地を移し、1989年にダイエーホークスがやってくるまで九州を本拠地とする球団は姿を消すことになった。

東急(1947~1972)
東急フライヤーズ→急映フライヤーズ→東急フライヤーズ→東映フライヤーズ
「東急」の名前がついていた期間が短いので印象は薄い。東映フライヤーズへと名前が変わったあとも、球団保有が東急、球団運営が東映という体制が続いた。東映の創業者で名物オーナーとして名を馳せた大川博は旧中之口村の出身。

近鉄(1949~2004)
近鉄パールス→近鉄バファロー→近鉄バファローズ→大阪近鉄バファローズ
55年に渡る長い歴史を持ちながらついに日本一になることはなかった。1989年の日本シリーズでは巨人相手に三連勝するものの、その後四連敗して日本一を逃した。2004年のオリックスとの合併騒動は記憶に新しい。この騒動の結果、新球団東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生した。
近畿日本鉄道は総営業距離が日本一長い私鉄。2位は東武鉄道。3位は名古屋鉄道と続く。

国鉄(1950~1965)
国鉄スワローズ
球団名は国鉄最高の特急と謳われた特急つばめ(現九州新幹線)から来ている。設立初年に入団したのが「400勝投手」金田正一。65年に経営権が国鉄から産経新聞に移ると同時に金田も巨人へと移籍していった。
なお、国鉄は公社であったため直接球団を経営することは出来ず、いろいろややこしいことをしていた。

名鉄(1951~1953)
名古屋ドラゴンズ
今回調べていてはじめて名鉄が球団を保有していたことを知った。名鉄が経営に加わったことで、中日ドラゴンズから名古屋ドラゴンズに改称。もともと経営権を持っていた中日新聞と隔年で球団を経営していた。53年に名鉄が経営を離れると、元の中日ドラゴンズに再改称。その直後の54年に初の日本一になっているあたり、名鉄の不運を感じる。

【保有の話があったり】
京急(2011)
横浜ベイスターズの売却の話が出たときに名乗りをあげる。久しぶりに鉄道会社が球団を保有するか?それも京急が!?と鉄道ファンが色めき立ったが、結局譲渡先はDeNAに。京急ダァシエリェスや京急ドレミファインバーターズなど、ライブドアジェンキンスを彷彿とさせる盛り上がりを見せた。

【保有したことがない】
東武、京成、京王、小田急、相鉄、京阪、東京メトロ
こうして見ると意外なのが東武。関東私鉄の雄でありながら球団を保有したことがない。まあ、それほど資金が潤沢な会社でもないし、貧乏性な東武らしくもある。
最後に東京メトロを加えたが、最近民営化したばかりで私鉄に含めていいのか悩ましいところ。もしかしたらヤクルトスワローズから東京メトロスワローズに、なんてことがあるのかも。


簡単にまとめようと思ったらこんなに長くなってしまった。
それだけプロ野球と鉄道の関係は深いということか。
(正確じゃない部分もありますが、ご容赦ください。)

2011年11月2日水曜日

中山トンネル序論

今日ちょっとTwitterでつぶやいた中山トンネルについて。
このトンネルは上越新幹線の高崎と上毛高原の間にあります。駅間には二本トンネルがありますが、上毛高原寄りにあるのが中山トンネル、高崎寄りにあるのが榛名トンネルです。
この中山トンネル、なにが特殊かというと、難工事中の難工事だったのです。
お陰で新幹線の規格外の半径1500mという急カーブと160キロ制限という新幹線にあるまじき状態になっています。

でも、みなさんはこの中山トンネルの存在を知っていました?
トンネルの中では減速していることがわかりにくいため、そんなことは気にせず通過している人が多いと思います。

はい、次からは気にしていただきましょう!
中山トンネルの急カーブを実感できる方法をお教えします!


  1. まず新幹線に乗り込みます。この時、二階建て車両の一階の席であるとなお良いです。
  2. 座席は必ず進行方向むかって右側の窓側の席に座ってください。ダメだったときは仕方が無いのでデッキにしましょう。
  3. 中山トンネルの位置を覚えておきましょう。東京に行く時には上毛高原駅を出てすぐのトンネル、新潟に行く時には高崎駅を出て二本目のトンネルです。
  4. 中山トンネルに入ったら窓の外をジッと見続けてください。レールが見えます。そのレールの位置を覚えておきましょう。
  5. しばらくすると不思議なことに見えていたレールの位置が変化していきます。東京に向かうときには一度レールが下に下がったように見え、次に上に上がったように見え、それからまた下に下がったように見えて、最後に元の位置にレールが戻ってくるように見えます。新潟に向かっているときにはこれと逆の現象が起こります。
  6. この不思議な現象を見た時、あなたは中山トンネルの急カーブを体験したことになります。

なぜこのようなことになるかの解説は「中山トンネル本論」をお待ちください。
決して今日はもう書くのが面倒になったわけではございませんので、そのへんのご理解とご協力のほど宜しくお願い致します。