2011年11月16日水曜日
Suica
Suicaがどんどんと広がってきています。
先日東京に出張に行ったのですが、支払いはほとんどSuicaでした。
朝駅について朝ご飯のサンドウィッチを買う時にSuicaでピッ!
改札を通る時にまたSuicaでピッ!
新幹線の中でコーヒーを買う時にSuicaでピッ!
いろんなところでSuicaが使えます。
これからも急速にSuicaをはじめとする電子マネーは広がっていくでしょう。
財布を持ち歩かないような時代がくるのでしょうか?
蛇足ですが、JR東日本がSuicaにばかり力を注いで、肝心の本業を疎かにしないよう願っています。
2011年11月15日火曜日
上越新幹線開業29周年
29年前の11月15日6時35分、大宮駅から上越新幹線下り一番列車とき301号が発車した。その10分後の6時45分、新潟駅で上り一番列車あさひ190号が発車した。上越新幹線開業の日。当初の予定では東北新幹線と同日に開業する予定だったが、中山トンネルの工事の遅れなどで5ヶ月遅れでの開業となった。29年経った今でも日本海側を走る新幹線は上越新幹線だけである。
キャッチコピーは「ひかりは北へ」。新幹線車両は青であるという既成概念を覆す緑のラインの200系電車にはスノープラウ、雪切室、ボディーマウント構造などの豪雪地帯を走行する車両ならではの工夫が施された。車体の工夫以外にも消雪用のスプリンクラーが設置され、特急ときの時代にさんざん悩まされた豪雪を克服した。
上越新幹線の開業当初は速達タイプが「あさひ」、各駅停車タイプが「とき」という愛称だったが、今では越後湯沢までの「たにがわ」と新潟までの「とき」という体制に変わっている。「とき」という愛称は長らく上野~新潟間を走る特急の愛称として親しまれてきたが、「あさひ」という愛称は仙台~新潟間を走る急行の愛称であり、新幹線の愛称として採用されたのは、まさに大抜擢というものであった。
鉄道ファンに知られたトリビアで、「上越新幹線は全線開業していない。」というものがある。上越新幹線の計画上の起点は東京駅ではなく新宿駅であり、大宮駅から新宿へと向かうのが本来のルートであった。今も新宿駅の地下には新幹線が乗り入れるための用地が残されている。2015年の北陸新幹線(長野~金沢)の開業、2016年の北海道新幹線(新青森~新函館)の開業と東京~大宮間の輸送量が逼迫することは明白ではあるが、新宿駅延伸という「切り札」は未だに切られていない。
上越新幹線は来年30周年の節目の年を迎える。東北新幹線ではまもなく200系が姿を消すが、上越新幹線では30周年を迎える日まで元気に走ってくれているだろう。
上越新幹線の建設では90名以上の方が殉職している。一番犠牲が多かった大清水トンネル保登野沢(ほどのさわ)工区での火災事故では18名の方が亡くなっている。大清水トンネル湯沢口の程近くの城平墓園にある慰霊碑にはこのように刻まれている。
上越新幹線工事は 上越の産業文化の振興をはかるため国の一大事業として昭和四十六年十一月に工を起し ここにその完成をみた
私どもは その間にあって尊い生命を捧げられ 偉業達成の礎となられたかたがたのことを忘れることができない
ここにそれらのかたがたの霊を慰めるため 大清水トンネル湯沢口を鎮魂の地と定め この碑を建立する
御霊よ
ねがわくば 永遠に安らかに鎮まりたまわらんことを
昭和五十七年十月
上越新幹線
建設工事関係者一同
2011年11月14日月曜日
貨物新幹線
貨物輸送の未来を変える「貨物新幹線」計画とは?
こんな記事を見つけました。
ということで、Twitterで知ったこの記事について私なりに補足説明をします。この記事に書かれているのは新青森から先へと延伸する北海道新幹線のことについてです。「貨物新幹線」という文字に違和感を覚える人もいるかと思いますが、実は東海道新幹線でも貨物列車を走行させる計画がありました。
ということで、Twitterで知ったこの記事について私なりに補足説明をします。この記事に書かれているのは新青森から先へと延伸する北海道新幹線のことについてです。「貨物新幹線」という文字に違和感を覚える人もいるかと思いますが、実は東海道新幹線でも貨物列車を走行させる計画がありました。
東海道新幹線の建設にあたり建設費の捻出に困った国鉄は世界銀行からお金を借りることにしました。当時の世界の常識では「高規格鉄道で旅客輸送」というのは、「え?コイツ何いってんの?」状態だったのです。モータリゼーションがまさに勃興しつつある時で「移動は自動車だろ。急ぐ時は飛行機な。」というのが世界の常識で、鉄道は旅客輸送は激減、貨物輸送だけに頼る斜陽産業になり果てていたのです。
そんな状況の中で「旅客輸送用の高規格鉄道を建設するからお金ちょーだい!」と言っても「日本はアホなの?バカなの?」と言われるのがオチでした。そこで考えられたのが「いやいや、昼は旅客、夜は貨物を運ぶ高規格鉄道だから!」という苦肉の案だったわけです。
なんとか世界銀行からお金を借りることができ建設に着手するものの、実用性を疑問視する声は多く、鉄道ファンで知られる作家の阿川弘之氏からも「ピラミッド、万里の長城、戦艦大和に匹敵するバカ事業」と揶揄されていたわけです。
東海道新幹線が開業しても新幹線に貨物列車が走ることはありませんでした。そもそも先ほどの「貨物も走らせる」という話は世界銀行からお金を借りるための方便。つまり、嘘だったのです。一応格好だけはつけるために貨物駅へ分岐する用地が確保されていて、今もそのルートを確認することができます。
ちなみにこの時の貨物新幹線計画は、巡り巡って東京と大阪を結ぶ世界初の「貨物電車」M250系「スーパーレールカーゴ」へとつながっていくのですが、それはまた別の話。
日本の新幹線の成功は世界の常識を変えました。モータリゼーションは進みましたが、自動車と飛行機との二極化になくことはなく、近距離は自動車、中距離は鉄道、遠距離は飛行機、そしてそれぞれが相互に補完しあうという形が交通の常識になりつつあります。
2011年11月9日水曜日
プロ野球と鉄道
鉄道会社とプロ野球について簡単にまとめます。
大手私鉄15社プラスαで。
【現在も球団を保有】
阪神(1935~)
大阪タイガース→阪神軍→大阪タイガース→阪神タイガース
職業野球時代から存在する名門球団。現存する球団としては巨人に続き二番目に古い球団であり、本拠地となっている球場が変わっていない唯一の球団である。
2005年に阪神と阪急が経営した時に球団名の変更が取りざたされたが、阪急阪神タイガースになることはなかった。
阪神電鉄は営業キロが48.9キロと大手私鉄の中では相鉄の次に短い。
西武(1979~)
西武ライオンズ→埼玉西武ライオンズ
1979年にクラウンガスライターから西武が経営権を譲り受けた。森監督時代には「常勝西武」と言われる黄金時代を築いた。
チームカラーはスカイブルーだが、西武鉄道といえばやっぱり黄色でしょ。
【過去に球団を保有】
阪急(1936~1988)
阪急軍→阪急ベアーズ→阪急ブレーブス
阪神と同様に戦前の職業野球の頃から球団を保有していた。なお阪急はこれ以前(1924〜1929)に宝塚運動協会というプロ野球チームを保有していたというから日本最古の鉄道会社によるプロ野球チームは阪急であるといえる。
1975年から77年まで3年連続日本一という黄金時代を築いた。
1988年10月19日、世に言う「10.19決戦」ロッテ対近鉄のダブルヘッダーが川崎球場で行われいた同日にオリエントリースへの球団譲渡が発表された。戦前から続く名門球団阪急の身売りは関西を中心に大きな衝撃を与えた。
譲渡後のオリックスブルーウェーブは2004年に鉄道会社が経営する近鉄バファローズと合併したというのも奇妙な縁を感じる。
南海(1938~1944、1947~1988)
南海軍、南海ホークス
大阪球場を本拠地とした正真正銘の大阪の球団(阪神の甲子園球場は兵庫県尼崎市、阪急の西宮球場は兵庫県西宮市)。大阪球場は歓楽地ミナミのど真ん中にあり一杯引っ掛けてきたオッサンがドギツい野次を飛ばす「野次の聖地」としても知られた。ホークスが九州へと移転した今も大阪の下町には南海時代を懐かしむオッサンが多いらしい。
1988年は南海と阪急という関西を本拠地とする2球団が身売りされた激動の年であった。
西鉄(1943、1950~1972)
西鉄軍、西鉄クリッパーズ→西鉄ライオンズ
西鉄も戦前の職業野球時代からプロ野球に関わっていた。戦争による中断を経て、1950年から九州を本拠地とする唯一の球団として22年間存続した。西鉄が球団経営を離れたあとは太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズと短期間に保有会社が変わっていったが、1979年に西武鉄道が球団を保有して落ち着いた。しかし西武ライオンズは所沢へと本拠地を移し、1989年にダイエーホークスがやってくるまで九州を本拠地とする球団は姿を消すことになった。
東急(1947~1972)
東急フライヤーズ→急映フライヤーズ→東急フライヤーズ→東映フライヤーズ
「東急」の名前がついていた期間が短いので印象は薄い。東映フライヤーズへと名前が変わったあとも、球団保有が東急、球団運営が東映という体制が続いた。東映の創業者で名物オーナーとして名を馳せた大川博は旧中之口村の出身。
近鉄(1949~2004)
近鉄パールス→近鉄バファロー→近鉄バファローズ→大阪近鉄バファローズ
55年に渡る長い歴史を持ちながらついに日本一になることはなかった。1989年の日本シリーズでは巨人相手に三連勝するものの、その後四連敗して日本一を逃した。2004年のオリックスとの合併騒動は記憶に新しい。この騒動の結果、新球団東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生した。
近畿日本鉄道は総営業距離が日本一長い私鉄。2位は東武鉄道。3位は名古屋鉄道と続く。
国鉄(1950~1965)
国鉄スワローズ
球団名は国鉄最高の特急と謳われた特急つばめ(現九州新幹線)から来ている。設立初年に入団したのが「400勝投手」金田正一。65年に経営権が国鉄から産経新聞に移ると同時に金田も巨人へと移籍していった。
なお、国鉄は公社であったため直接球団を経営することは出来ず、いろいろややこしいことをしていた。
名鉄(1951~1953)
名古屋ドラゴンズ
今回調べていてはじめて名鉄が球団を保有していたことを知った。名鉄が経営に加わったことで、中日ドラゴンズから名古屋ドラゴンズに改称。もともと経営権を持っていた中日新聞と隔年で球団を経営していた。53年に名鉄が経営を離れると、元の中日ドラゴンズに再改称。その直後の54年に初の日本一になっているあたり、名鉄の不運を感じる。
【保有の話があったり】
京急(2011)
横浜ベイスターズの売却の話が出たときに名乗りをあげる。久しぶりに鉄道会社が球団を保有するか?それも京急が!?と鉄道ファンが色めき立ったが、結局譲渡先はDeNAに。京急ダァシエリェスや京急ドレミファインバーターズなど、ライブドアジェンキンスを彷彿とさせる盛り上がりを見せた。
【保有したことがない】
東武、京成、京王、小田急、相鉄、京阪、東京メトロ
こうして見ると意外なのが東武。関東私鉄の雄でありながら球団を保有したことがない。まあ、それほど資金が潤沢な会社でもないし、貧乏性な東武らしくもある。
最後に東京メトロを加えたが、最近民営化したばかりで私鉄に含めていいのか悩ましいところ。もしかしたらヤクルトスワローズから東京メトロスワローズに、なんてことがあるのかも。
簡単にまとめようと思ったらこんなに長くなってしまった。
それだけプロ野球と鉄道の関係は深いということか。
(正確じゃない部分もありますが、ご容赦ください。)
2011年11月2日水曜日
中山トンネル序論
今日ちょっとTwitterでつぶやいた中山トンネルについて。
このトンネルは上越新幹線の高崎と上毛高原の間にあります。駅間には二本トンネルがありますが、上毛高原寄りにあるのが中山トンネル、高崎寄りにあるのが榛名トンネルです。
この中山トンネル、なにが特殊かというと、難工事中の難工事だったのです。
お陰で新幹線の規格外の半径1500mという急カーブと160キロ制限という新幹線にあるまじき状態になっています。
でも、みなさんはこの中山トンネルの存在を知っていました?
トンネルの中では減速していることがわかりにくいため、そんなことは気にせず通過している人が多いと思います。
はい、次からは気にしていただきましょう!
中山トンネルの急カーブを実感できる方法をお教えします!
- まず新幹線に乗り込みます。この時、二階建て車両の一階の席であるとなお良いです。
- 座席は必ず進行方向むかって右側の窓側の席に座ってください。ダメだったときは仕方が無いのでデッキにしましょう。
- 中山トンネルの位置を覚えておきましょう。東京に行く時には上毛高原駅を出てすぐのトンネル、新潟に行く時には高崎駅を出て二本目のトンネルです。
- 中山トンネルに入ったら窓の外をジッと見続けてください。レールが見えます。そのレールの位置を覚えておきましょう。
- しばらくすると不思議なことに見えていたレールの位置が変化していきます。東京に向かうときには一度レールが下に下がったように見え、次に上に上がったように見え、それからまた下に下がったように見えて、最後に元の位置にレールが戻ってくるように見えます。新潟に向かっているときにはこれと逆の現象が起こります。
- この不思議な現象を見た時、あなたは中山トンネルの急カーブを体験したことになります。
なぜこのようなことになるかの解説は「中山トンネル本論」をお待ちください。
決して今日はもう書くのが面倒になったわけではございませんので、そのへんのご理解とご協力のほど宜しくお願い致します。
2011年10月31日月曜日
駅の定義、そして弥彦線
少し前に知人と話をしたときにこんな話題が出ました。
知人曰く、
「昔、弥彦線が高架になる前は市内の踏切でよく渋滞ができたたじゃん。それについて調べろって言われて調べたんだけどさ。東京だと駅に電車が止まっている時には駅の近くの踏切が鳴らないけど、北三条駅に電車が止まっている時には近くの踏切は鳴っている。なんでそうなるのか聞いたら、駅ならできるけど、北三条は駅じゃないからダメなんだ、って言われたんだ。これはどういうことかわかる?」
「わかりません!」
ということで駅の定義について調べて見ました。
鉄道関係の技術基準に「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」というものがあります。これによると停車場というのは、「駅、信号場及び操車場をいう。」と定義付けられています。では、駅はどうかというと「旅客の乗降又は貨物の積卸しを行うために使用される場所をいう。」となっています。ん?じゃあ北三条駅は駅じゃないかということになりますが、実はもう一つ用語があります。
停車場と似ていますが、「停留所」というものがあります。停留所の定義は「停車場のうちで、場内信号機・出発信号機を設けていないものをいう。」というものです。北三条駅には場内信号機や出発信号機はありません。なので北三条駅は駅ではなく停留所であるということになります。じゃあ、北三条駅じゃなくて北三条停留所って名前にしろよ!って声が聞こえてきそうですが、
一応駅ですし、ややこしくなるのでそういうもんだと思ってください。
定義はここまでとして、先述の通り、北三条駅は「駅」ではなく、「停留所」であるため、場内信号や出発信号がありません。ということは、北三条駅に停車している列車は信号によって出発が制御されておらず、車掌の判断で出発することになります。駅周辺の踏切は「列車がいつ来るかわからない」状態となるため、警報を鳴らし、遮断器を降ろさなければ鳴らなくなります。
![]() |
北三条駅。場内に信号はありません。 |
東三条駅のように出発信号がある駅では、出発信号が進行にならないと駅から動くことができないため、駅周辺の踏切は鳴らさなくても良いのです。駅構内の出発信号が変わったときに、駅周辺の踏切が鳴り始めます。
余談ですが、運転士が「出発進行!」というのは、「出発」信号が「進行」になっているからで、出発進行の他に「出発注意」や「出発警戒」などの喚呼があります。
![]() |
こちらは新津駅。写真の奥に信号群があります。全て赤信号(停止)となっているのでここから先に列車が進むことができない状態になっています。 |
弥彦線の燕三条~東三条間が高架化されたのが今から15年前の平成8年。高架化の是非はひとまず置いて、弥彦線の踏切で待たされることがすっかりなくなった三条の街。その街の様子を高架の弥彦線の車窓から眺めるのもまた一興かと思います。
2011年7月16日土曜日
「ちょっときりたんぽ買ってくるわ」ツアー
7月17日にJR東日本パスで秋田まで行ってきます。
題して「ちょっときりたんぽ買ってくるわ」ツアーです。
本当は青森まで行って「ちょっとリンゴ買ってくるわ」ツアーにしたかったのですが、はやぶさはもちろんはやてさえ指定席が満席になっていたので、致し方なく目的地を秋田にしました。
行程ははこんな感じ。
()は発着番線です。
まず東京へ。
とき306号 燕三条724-東京932(22)
東京についたら新青森へ向かうはやぶささんをお見送り。
はやぶさ403号 東京1004(20)
はやぶさを見送ったあと、はやて・こまちに乗り込む。
仙台で開催されている東北六魂祭が車窓から見えるかなぁ。
ハイライトは盛岡駅での解結。
駅弁は何にしようか?
こまち163号 東京1028(21)-盛岡1316-1324-秋田1454(11)
15時ちょっと前に秋田に到着。
旅の目的であるきりたんぽを購入(予定)。
横手やきそばも欲しいところ。
秋田駅周辺で観光するけど、何を見ようか。
久保田城跡?
1時間半たっぷりと秋田を観光したあとに新潟への帰路へ。
いなほの車窓から鳥海山や月山の名山や日本海、田園風景を堪能する。
府屋駅に18:51に到着したら、車窓からは名勝笹川流れが見える。
この日の日の入りは19時05分。
うまいことサンセットビーチが見れるといいけど。
もちろん夕飯も駅弁。
いなほ14号 秋田1634(3)-府屋1851-新潟2009(6)
新潟駅に20時過ぎに到着。
三条へ戻るわけですが、新幹線を使うか、在来線にするかは未定。
疲労具合によって決めようと思います。
Mとき350号 新潟2019-燕三条2031
新潟2015(2)-東三条2103-2141-燕三条2150
乗車時間は、新幹線を使った場合は10時間21分、在来線を使った場合は11時間06分。
半日近く座席に座っているけど、おしりは大丈夫かな?
同行者が1名おりますが、根を上げて「もう二度と一緒に旅行に行かない!」と言い出さないか心配です。
本来は被災地の復興を目的としたキップをこのような使い方をしていいものか悩ましいですが、折角の機会なので行ってきたいと思います。
登録:
投稿 (Atom)