2011年11月14日月曜日

貨物新幹線

貨物輸送の未来を変える「貨物新幹線」計画とは?
こんな記事を見つけました。
ということで、Twitterで知ったこの記事について私なりに補足説明をします。この記事に書かれているのは新青森から先へと延伸する北海道新幹線のことについてです。「貨物新幹線」という文字に違和感を覚える人もいるかと思いますが、実は東海道新幹線でも貨物列車を走行させる計画がありました。

東海道新幹線の建設にあたり建設費の捻出に困った国鉄は世界銀行からお金を借りることにしました。当時の世界の常識では「高規格鉄道で旅客輸送」というのは、「え?コイツ何いってんの?」状態だったのです。モータリゼーションがまさに勃興しつつある時で「移動は自動車だろ。急ぐ時は飛行機な。」というのが世界の常識で、鉄道は旅客輸送は激減、貨物輸送だけに頼る斜陽産業になり果てていたのです。
そんな状況の中で「旅客輸送用の高規格鉄道を建設するからお金ちょーだい!」と言っても「日本はアホなの?バカなの?」と言われるのがオチでした。そこで考えられたのが「いやいや、昼は旅客、夜は貨物を運ぶ高規格鉄道だから!」という苦肉の案だったわけです。
なんとか世界銀行からお金を借りることができ建設に着手するものの、実用性を疑問視する声は多く、鉄道ファンで知られる作家の阿川弘之氏からも「ピラミッド、万里の長城、戦艦大和に匹敵するバカ事業」と揶揄されていたわけです。
東海道新幹線が開業しても新幹線に貨物列車が走ることはありませんでした。そもそも先ほどの「貨物も走らせる」という話は世界銀行からお金を借りるための方便。つまり、嘘だったのです。一応格好だけはつけるために貨物駅へ分岐する用地が確保されていて、今もそのルートを確認することができます。

ちなみにこの時の貨物新幹線計画は、巡り巡って東京と大阪を結ぶ世界初の「貨物電車」M250系「スーパーレールカーゴ」へとつながっていくのですが、それはまた別の話。

日本の新幹線の成功は世界の常識を変えました。モータリゼーションは進みましたが、自動車と飛行機との二極化になくことはなく、近距離は自動車、中距離は鉄道、遠距離は飛行機、そしてそれぞれが相互に補完しあうという形が交通の常識になりつつあります。

2011年11月9日水曜日

プロ野球と鉄道

鉄道会社とプロ野球について簡単にまとめます。
大手私鉄15社プラスαで。

【現在も球団を保有】
阪神(1935~)
大阪タイガース→阪神軍→大阪タイガース→阪神タイガース
職業野球時代から存在する名門球団。現存する球団としては巨人に続き二番目に古い球団であり、本拠地となっている球場が変わっていない唯一の球団である。
2005年に阪神と阪急が経営した時に球団名の変更が取りざたされたが、阪急阪神タイガースになることはなかった。
阪神電鉄は営業キロが48.9キロと大手私鉄の中では相鉄の次に短い。

西武(1979~)
西武ライオンズ→埼玉西武ライオンズ
1979年にクラウンガスライターから西武が経営権を譲り受けた。森監督時代には「常勝西武」と言われる黄金時代を築いた。
チームカラーはスカイブルーだが、西武鉄道といえばやっぱり黄色でしょ。

【過去に球団を保有】
阪急(1936~1988)
阪急軍→阪急ベアーズ→阪急ブレーブス
阪神と同様に戦前の職業野球の頃から球団を保有していた。なお阪急はこれ以前(1924〜1929)に宝塚運動協会というプロ野球チームを保有していたというから日本最古の鉄道会社によるプロ野球チームは阪急であるといえる。
1975年から77年まで3年連続日本一という黄金時代を築いた。
1988年10月19日、世に言う「10.19決戦」ロッテ対近鉄のダブルヘッダーが川崎球場で行われいた同日にオリエントリースへの球団譲渡が発表された。戦前から続く名門球団阪急の身売りは関西を中心に大きな衝撃を与えた。
譲渡後のオリックスブルーウェーブは2004年に鉄道会社が経営する近鉄バファローズと合併したというのも奇妙な縁を感じる。

南海(1938~1944、1947~1988)
南海軍、南海ホークス
大阪球場を本拠地とした正真正銘の大阪の球団(阪神の甲子園球場は兵庫県尼崎市、阪急の西宮球場は兵庫県西宮市)。大阪球場は歓楽地ミナミのど真ん中にあり一杯引っ掛けてきたオッサンがドギツい野次を飛ばす「野次の聖地」としても知られた。ホークスが九州へと移転した今も大阪の下町には南海時代を懐かしむオッサンが多いらしい。
1988年は南海と阪急という関西を本拠地とする2球団が身売りされた激動の年であった。

西鉄(1943、1950~1972)
西鉄軍、西鉄クリッパーズ→西鉄ライオンズ
西鉄も戦前の職業野球時代からプロ野球に関わっていた。戦争による中断を経て、1950年から九州を本拠地とする唯一の球団として22年間存続した。西鉄が球団経営を離れたあとは太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズと短期間に保有会社が変わっていったが、1979年に西武鉄道が球団を保有して落ち着いた。しかし西武ライオンズは所沢へと本拠地を移し、1989年にダイエーホークスがやってくるまで九州を本拠地とする球団は姿を消すことになった。

東急(1947~1972)
東急フライヤーズ→急映フライヤーズ→東急フライヤーズ→東映フライヤーズ
「東急」の名前がついていた期間が短いので印象は薄い。東映フライヤーズへと名前が変わったあとも、球団保有が東急、球団運営が東映という体制が続いた。東映の創業者で名物オーナーとして名を馳せた大川博は旧中之口村の出身。

近鉄(1949~2004)
近鉄パールス→近鉄バファロー→近鉄バファローズ→大阪近鉄バファローズ
55年に渡る長い歴史を持ちながらついに日本一になることはなかった。1989年の日本シリーズでは巨人相手に三連勝するものの、その後四連敗して日本一を逃した。2004年のオリックスとの合併騒動は記憶に新しい。この騒動の結果、新球団東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生した。
近畿日本鉄道は総営業距離が日本一長い私鉄。2位は東武鉄道。3位は名古屋鉄道と続く。

国鉄(1950~1965)
国鉄スワローズ
球団名は国鉄最高の特急と謳われた特急つばめ(現九州新幹線)から来ている。設立初年に入団したのが「400勝投手」金田正一。65年に経営権が国鉄から産経新聞に移ると同時に金田も巨人へと移籍していった。
なお、国鉄は公社であったため直接球団を経営することは出来ず、いろいろややこしいことをしていた。

名鉄(1951~1953)
名古屋ドラゴンズ
今回調べていてはじめて名鉄が球団を保有していたことを知った。名鉄が経営に加わったことで、中日ドラゴンズから名古屋ドラゴンズに改称。もともと経営権を持っていた中日新聞と隔年で球団を経営していた。53年に名鉄が経営を離れると、元の中日ドラゴンズに再改称。その直後の54年に初の日本一になっているあたり、名鉄の不運を感じる。

【保有の話があったり】
京急(2011)
横浜ベイスターズの売却の話が出たときに名乗りをあげる。久しぶりに鉄道会社が球団を保有するか?それも京急が!?と鉄道ファンが色めき立ったが、結局譲渡先はDeNAに。京急ダァシエリェスや京急ドレミファインバーターズなど、ライブドアジェンキンスを彷彿とさせる盛り上がりを見せた。

【保有したことがない】
東武、京成、京王、小田急、相鉄、京阪、東京メトロ
こうして見ると意外なのが東武。関東私鉄の雄でありながら球団を保有したことがない。まあ、それほど資金が潤沢な会社でもないし、貧乏性な東武らしくもある。
最後に東京メトロを加えたが、最近民営化したばかりで私鉄に含めていいのか悩ましいところ。もしかしたらヤクルトスワローズから東京メトロスワローズに、なんてことがあるのかも。


簡単にまとめようと思ったらこんなに長くなってしまった。
それだけプロ野球と鉄道の関係は深いということか。
(正確じゃない部分もありますが、ご容赦ください。)

2011年11月2日水曜日

中山トンネル序論

今日ちょっとTwitterでつぶやいた中山トンネルについて。
このトンネルは上越新幹線の高崎と上毛高原の間にあります。駅間には二本トンネルがありますが、上毛高原寄りにあるのが中山トンネル、高崎寄りにあるのが榛名トンネルです。
この中山トンネル、なにが特殊かというと、難工事中の難工事だったのです。
お陰で新幹線の規格外の半径1500mという急カーブと160キロ制限という新幹線にあるまじき状態になっています。

でも、みなさんはこの中山トンネルの存在を知っていました?
トンネルの中では減速していることがわかりにくいため、そんなことは気にせず通過している人が多いと思います。

はい、次からは気にしていただきましょう!
中山トンネルの急カーブを実感できる方法をお教えします!


  1. まず新幹線に乗り込みます。この時、二階建て車両の一階の席であるとなお良いです。
  2. 座席は必ず進行方向むかって右側の窓側の席に座ってください。ダメだったときは仕方が無いのでデッキにしましょう。
  3. 中山トンネルの位置を覚えておきましょう。東京に行く時には上毛高原駅を出てすぐのトンネル、新潟に行く時には高崎駅を出て二本目のトンネルです。
  4. 中山トンネルに入ったら窓の外をジッと見続けてください。レールが見えます。そのレールの位置を覚えておきましょう。
  5. しばらくすると不思議なことに見えていたレールの位置が変化していきます。東京に向かうときには一度レールが下に下がったように見え、次に上に上がったように見え、それからまた下に下がったように見えて、最後に元の位置にレールが戻ってくるように見えます。新潟に向かっているときにはこれと逆の現象が起こります。
  6. この不思議な現象を見た時、あなたは中山トンネルの急カーブを体験したことになります。

なぜこのようなことになるかの解説は「中山トンネル本論」をお待ちください。
決して今日はもう書くのが面倒になったわけではございませんので、そのへんのご理解とご協力のほど宜しくお願い致します。

2011年10月31日月曜日

駅の定義、そして弥彦線

少し前に知人と話をしたときにこんな話題が出ました。
知人曰く、
「昔、弥彦線が高架になる前は市内の踏切でよく渋滞ができたたじゃん。それについて調べろって言われて調べたんだけどさ。東京だと駅に電車が止まっている時には駅の近くの踏切が鳴らないけど、北三条駅に電車が止まっている時には近くの踏切は鳴っている。なんでそうなるのか聞いたら、駅ならできるけど、北三条は駅じゃないからダメなんだ、って言われたんだ。これはどういうことかわかる?」

「わかりません!」

ということで駅の定義について調べて見ました。
鉄道関係の技術基準に「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」というものがあります。これによると停車場というのは、「駅、信号場及び操車場をいう。」と定義付けられています。では、駅はどうかというと「旅客の乗降又は貨物の積卸しを行うために使用される場所をいう。」となっています。ん?じゃあ北三条駅は駅じゃないかということになりますが、実はもう一つ用語があります。

停車場と似ていますが、「停留所」というものがあります。停留所の定義は「停車場のうちで、場内信号機・出発信号機を設けていないものをいう。」というものです。北三条駅には場内信号機や出発信号機はありません。なので北三条駅は駅ではなく停留所であるということになります。じゃあ、北三条駅じゃなくて北三条停留所って名前にしろよ!って声が聞こえてきそうですが、
一応駅ですし、ややこしくなるのでそういうもんだと思ってください。

定義はここまでとして、先述の通り、北三条駅は「駅」ではなく、「停留所」であるため、場内信号や出発信号がありません。ということは、北三条駅に停車している列車は信号によって出発が制御されておらず、車掌の判断で出発することになります。駅周辺の踏切は「列車がいつ来るかわからない」状態となるため、警報を鳴らし、遮断器を降ろさなければ鳴らなくなります。
北三条駅。場内に信号はありません。

東三条駅のように出発信号がある駅では、出発信号が進行にならないと駅から動くことができないため、駅周辺の踏切は鳴らさなくても良いのです。駅構内の出発信号が変わったときに、駅周辺の踏切が鳴り始めます。
余談ですが、運転士が「出発進行!」というのは、「出発」信号が「進行」になっているからで、出発進行の他に「出発注意」や「出発警戒」などの喚呼があります。
こちらは新津駅。写真の奥に信号群があります。全て赤信号(停止)となっているのでここから先に列車が進むことができない状態になっています。

弥彦線の燕三条~東三条間が高架化されたのが今から15年前の平成8年。高架化の是非はひとまず置いて、弥彦線の踏切で待たされることがすっかりなくなった三条の街。その街の様子を高架の弥彦線の車窓から眺めるのもまた一興かと思います。

2011年7月16日土曜日

「ちょっときりたんぽ買ってくるわ」ツアー

7月17日にJR東日本パスで秋田まで行ってきます。
題して「ちょっときりたんぽ買ってくるわ」ツアーです。
本当は青森まで行って「ちょっとリンゴ買ってくるわ」ツアーにしたかったのですが、はやぶさはもちろんはやてさえ指定席が満席になっていたので、致し方なく目的地を秋田にしました。

行程ははこんな感じ。
()は発着番線です。

まず東京へ。

とき306号 燕三条724-東京932(22)

東京についたら新青森へ向かうはやぶささんをお見送り。

はやぶさ403号 東京1004(20)

はやぶさを見送ったあと、はやて・こまちに乗り込む。
仙台で開催されている東北六魂祭が車窓から見えるかなぁ。
ハイライトは盛岡駅での解結。
駅弁は何にしようか?

こまち163号 東京1028(21)-盛岡1316-1324-秋田1454(11)

15時ちょっと前に秋田に到着。
旅の目的であるきりたんぽを購入(予定)。
横手やきそばも欲しいところ。
秋田駅周辺で観光するけど、何を見ようか。
久保田城跡?

1時間半たっぷりと秋田を観光したあとに新潟への帰路へ。
いなほの車窓から鳥海山や月山の名山や日本海、田園風景を堪能する。
府屋駅に18:51に到着したら、車窓からは名勝笹川流れが見える。
この日の日の入りは19時05分。
うまいことサンセットビーチが見れるといいけど。
もちろん夕飯も駅弁。

いなほ14号 秋田1634(3)-府屋1851-新潟2009(6)

新潟駅に20時過ぎに到着。
三条へ戻るわけですが、新幹線を使うか、在来線にするかは未定。
疲労具合によって決めようと思います。

Mとき350号 新潟2019-燕三条2031
新潟2015(2)-東三条2103-2141-燕三条2150

乗車時間は、新幹線を使った場合は10時間21分、在来線を使った場合は11時間06分。
半日近く座席に座っているけど、おしりは大丈夫かな?
同行者が1名おりますが、根を上げて「もう二度と一緒に旅行に行かない!」と言い出さないか心配です。

本来は被災地の復興を目的としたキップをこのような使い方をしていいものか悩ましいですが、折角の機会なので行ってきたいと思います。

2011年5月2日月曜日

越後大回り(三条駅発)

えちごツーデーパスという便利なきっぷがあります。
これを使って新潟県内をぐるりと廻ることができます。
三条駅を起点とするとこんな感じです。


三条7:59-(1730M)-9:26六日町
六日町9:44-(830M)-10:56犀潟
犀潟11:00-(1333M)-11:35柏崎
柏崎12:12-(147M)-13:22吉田
吉田13:34-(149M)-1435新潟
新潟14:40-(653M)-15:20新発田
新発田15:56-(130D)-16:24新津
新津16:31-(444M)-17:03三条

見事に8時出勤、17時退勤のスケジュールです。
柏崎で昼飯がちゃんと確保できるかがポイントになります。
弥彦線を使ってもっと遠回りができるけど、ちゃんとした円を描くならこのルートかなと思います。

2010年11月16日火曜日

2015年の新潟駅予想図


今日はちょっと未来予想図を。

2015年、新潟駅。

この日、新潟駅では新駅舎の竣工記念式典が行われていた。
在来線ホームは地平ホームから全て高架ホームへと移行し、白新線のホームは新幹線と隣り合い、村上・酒田方面からの乗客の利便性が向上している。
立体交差が完成したことにより、駅南北の行き来が格段にしやすくなった。

記念式典の最中に東京行きの上越新幹線が発車していく。
車両はE2系。登場以来、東北新幹線で活躍してきたが、E5系の登場によってその住処を新潟へと変えていた。
帯の色もツツジ色からトキ色へと変更されている。

2011年の東北新幹線新青森延伸、2014年の北陸新幹線金沢延伸で上越新幹線を取り巻く環境が激変していた。
0系を彷彿とさせる「丸鼻の新幹線」200系は既に引退し、「Max」のさきがけとなったE1系ももうすでにいない。
新潟と東京を結ぶ新幹線はE2系とE4系のみとなっていた。
また、昔から問題視されていた大宮~東京間の線路容量は限界に達し、上越新幹線は東京駅への乗り入れを縮小され、大宮始発、高崎始発が設定されるようになった。
当初計画通りの大宮駅から新宿駅への延伸も長年検討されているが、まだ実現には至っていない。

在来線ホームの様子もかつてとは大きく変わっている。
長年新潟県民の足として走り続けてきた115系、485系などの「国鉄型車両」の姿を見ることはもう出来ない。
115系の代わりに新製のE129系が普通列車として活躍している。
新潟では比較的新型車両であったE127系は弥彦線・上越線などに活躍の場をうつし、新潟駅で姿を見ることは少なくなっている。

特急「いなほ」「北越」、快速「くびき野」で日本海縦貫線を南北に走り続けてきた485系も姿を消し、今では常磐線で「フレッシュひたち」として活躍していたE653系が県内の特急網の主役となっている。

夜の鉄路も大きく様変わりしていた。
利用率が落ち込んでいた上野発金沢行の寝台特急「北陸」急行「能登」が廃止。
続けて東北新幹線の新青森延伸により「あけぼの」が廃止。
これにより隆盛を極めた上野発青森行の列車は全て廃止された。
長年583系で運転されていた急行「きたぐに」も廃止。
寝台特急「日本海」も日本海縦貫線最後のブルートレインとして走り続けたが、2014年3月のダイヤ改正をもって廃止となった。
運転最終日には鉄道ファンだけでなく、思い入れのある人々が最後のお別れに訪れた。
こうして新潟県内を走る夜行列車は「トワイライトエクスプレス」と長期休暇に運転される「ムーンライトえちご」のみとなった。

時を同じくして貨物列車の牽引機もEF81からEF510へ、EF64からEH200へと世代交代されていった。